Saturday, May 17, 2008

どんぐりと山猫

花了三十個小時以上做一篇報告,總算是有其價值。要做出一篇能被老師稱讚的報告,對我來說是相當困難的事情。倒是原本這篇報告只需要兩張A4就能交差,不過自己在不自覺的情況下竟然寫了五千字之多(汗),果然靈感的有無、對切入角度的熟悉與否具有相當大的差異。大概沒做過之前六千字的竹取,這次就不會寫得這麼順(異界兼用卡重複使用中)。不過事實上改變最大的還是因為老闆的指導吧(汗)(雖然寫這篇報告並沒有去問他什麼問題就是了)。由於老闆推薦我寫論文的方式是先將文本看到爛,然後再去分析,因此這次為了評估自己是否能用文本分析的手法寫出論文,所以特地在看完文本以及一些論文之後開始精讀文本、進入分析,然後發現意外的好用(炸裂)。只是我目前還是無法分辨到底什麼是感想,什麼是"論點",總之等二年級一結束,就是論文的開始。也差不多,該是點火的時候。

  此外試著像布丁一樣把學習成果放在網路上,以免被對方狂罵不讀書Q3Q



どんぐりと山猫試論―二度と来ない葉書について―

 

一、初めに:

 

  『どんぐりと山猫』を読むときに、突然に不思議な世界へ行った一郎を見て、私に『不思議の国のアリス』を連想させた。『どんぐりと山猫』はある日、「をか しなはがき」を受けた主人公かねた一郎が山猫の不思議な「めんどなさいばん」に出かけ、それを解決し、山猫と名誉裁判になる約束を交わしたにも関わらず、 二度とも山猫のはがきを受けなくなったという物語である。従来の研究では作品の背後に潜む法華意識、馬車別当への差別とそのイメージ、大正時代の教育状 況、物語の背後に潜む「賢治の複雑な心模様」など、多面的に討論されたが、この論ではそういう社会的な面をあえて考えせず、純粋にこの童話の文本から「山 ねこ拝といふはがきは、もうきません」の原因を論じてみたい。

 

二、山ねこワールドへの鍵:

 

  どうしてかねた一郎が山ねこワールドへたどり着けるのか。それは、彼がいるはずもない山ねこの存在を信じるゆえであろう。多くの論では、「をかしなはが き」を山猫からかねた一郎への山猫ワールドの招待状としていたが、吉田文憲氏はこの招待状が「容易な招待状」ではなく、「『おかし』な世界が作動するかど うか」、魔法の世界への扉を開けるかどうかを試す「試みの扉」と、誰でも山ねこワールドへいけるではないと述べていた[1]。 確かに、よく考えれば、山ねこ拝という署名の上に、その「字はまるでへたで、墨もがさがさして指につくくらゐでした」のはがきを、本当の招待状として見て 取るのはそう容易いことではない。もし主人公のかねた一郎がこの「をかしなはがき」のために「うれしくてうれしくてたまりません」人でななく、期待せずに このはがきをただのイタズラとして捉えるだけなら、到底山ねこワールドへ行けなくなるだろう。だが、かねた一郎はそのはがきの内容を信じた。そのありえな いファンタジー的な物事を信じた。その信じる心が、子供心が一番大事だと言えよう。をかしなはがき=山ねこワールドへのチケットを信じられる心こそが、山 ねこワールドへ繋がる扉のガキであり、なくしてはいけないものでもある。

 はがきを受けた隔日、一郎は山猫を尋ねるため家を出かけ、「ひとり谷川に沿つたこみちを、かみの 方へのぼつて行きました。」(下線筆者、以下同)。私にはこのかみの方は「上」の方を指しているだけではなく、“神の方”にも通じるではないかと考えてい る。日本の神はもともと自然信仰=自然を代表する面がつよく、有象無象を神と、精霊とする側面をもっている。一郎はかみの方へのぼり、かみの世界へ踏み入 り、そこで森の生き物=精霊達と出会った。森の精霊たちに道を尋ねえることからみれば、一郎は動物、植物、水に聖性があり、話せる存在であることを信じてるのは言うまでもない。

 また、一郎が森の“精霊”達に道を尋ねるところからも、彼の純朴な何事も信じる心が見られる。一郎と森の精霊たちとの問答は次のように描かれた。

ならぼくのいく方だねえ、おかしいな、ともかくもつといつてみよう。栗の木ありがたう。」

おかしいな西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう。ふえふき、ありがとう。

みなみならあっちの山のなかだ。おかしいな。まあもすこし行ってみよう。きのこ、ありがとう。」

みなみへ行ったなんて、二とこでそんなことを言うのはおかしいなあ。けれどもまあもすこし行ってみよう。りす、ありがとう。」

 方位について、吉田氏が以下のように述べた。

方 位がばらばらであるのは、一郎の歩いている方角がじつは現実にはどの方角でもない、あるいは地上の方角にはない場所だからかもしれませんね。山猫ワールド がある種のユートピア、桃源郷のようなところだとすれば、それは地上の方位では指し示すことのできない方角にあるのではないでしょうか。

 私もこの段落を見て、ピーター・パンの物語を思い出した。ピーター・パンのネバー・ランドへ行くには「右から二番目の道」に目指して飛べなければつかないである[2]。 異界を目指すには、どうもこういう特定な手段や手順、つまり「通過儀礼」を済ませねばならないである。そしてその通過儀礼を通過するには、目標=異界の存 在を信じる必要がある。ピーター・パンに出ている子供達がネバー・ランドを信じると同様に、一郎もまた山猫ワールドの存在を、山猫を信じている。信じてい るこそ、何度もおかしいなあと思いつつも進み続けたである。ここまで論じれば、異界=山ねこワールド=山ねこと繋ぐには、非現実的な物事を信じる心がいか に重要なのは自明なことである。

 

三、破綻させられた世界:

 

 では、山ねこワールドは一体どういう所だろうか。一郎が山ねこワールドにたどり着いたシーンは次のように述べられた。

一 郎はそのみちをのぼって行きました。榧の枝はまっくろに重なりあって、青ぞらは一きれも見えず、みちは大へん急な坂になりました。一郎が顔をまっかにし て、汗をぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にわかにぱっと明るくなって、眼がちくっとしました。そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風に ざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろのかやの木のもりでかこまれてありました。

一 郎は真っ黒なかやの木の森を通し、大変急な坂を登った。古事記にも見える黄泉の比良坂のように、坂は異界と繋がるもので、また従来の論ではよく坂を現と異 界の境界だとしている。坂を通った一郎は、「うつくしい黄金いろの草地」=異界の中心に入った。草原というのは開放的な場所ではあるが、でもこの黄金いろ の草地は「まわりは立派なオリーブいろのかやの木のもりでかこまれて」いるところである。この囲まれた草地は閉鎖されている空間だと感じさせる。また、こ の草地での時間の流れも、どうも変なところがある。一郎と山ねこが出会った時に、山ねこは「どうも毎年、この裁判でくるしみます。」その言い草から、同じ裁判は「毎年」繰り返されていたことが分かる。また、裁判を行う場面でも、山猫とどんぐり達の対話は何度も繰り返された。山ねこは「裁判ももうけふで三日目だぞ。いい加減になかなほりをしたらどうだ。」と言った。三の数字について、「石の上にも三年」「桃栗三年柿八年」「三度目の正直」「佛の顔も三度まで」「三日坊主」などの用語からも見られるように、三という数字は日本語の中で、よく反復や持続の意味で用いられる[3]。もしかすると、この裁判はいくらの時間を経っても変わらないの現われで、何時までも「三日目」のまま、「永遠に終わらない性質」を持っているではないか。

だ とすれば、一郎の裁判はどういう意味を持っているか。一郎は問題を解決するために、山猫に「このなかでいちばんばかで、めちやくちやで、まるでなつてゐな いやうなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」と教えた。安藤恭子氏が「『お説教』とはある教義(宗教・教育理念など)から抽出された 教えであろうが、一郎世界で流通する教義体系の断片が一郎の越境とともに草地に持ち込まれ、一郎の口から引用されたのである」と述べた[4]。 山ねこワールドは一郎の侵入によって浸食されている。また、一郎の答えを聴いて山猫は一郎の言うとおりに裁判した。判決を聴いて、どんぐり達は「しいんと してしまひました。それはそれはしいんとして、堅まつてしまひました。」なぜなら、一郎の判決は「お説教」で聞いた外世界のことわりであり、どんぐりの価 値観を否定したものである。どんぐりの沈黙について、吉田氏は静かに成ったどんぐりについて、「がやがや言わなくなるということは、つまりそれはどんぐり たちの死を意味することになるでしょう」と述べていた[5]。その死については議論な余地があると思うが、一郎の侵入、判決によって、永遠に螺旋する山ねこワールドは変わり初め、破綻させられたというのは間違いないであろう。この破綻は、「山ねこ拝といふはがきは、もうきません」の結果を示唆しているかもしれない。

 

四、失われた信頼:

 

  裁判が終わり、山猫の「これから葉書にかねた一郎どのと書いて、こちらを裁判所としますが、ようございますか」という要請に一郎は頷いたが、「それから、 はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでせう。」というのは「なんだか変」と言って断った。それは何故でしょ うか。「出頭」を辞書でみると、岩波書店の『広辞苑』[6]で は、「本人自ら、ある場所、特に役所などに出向くこと。」と書いている。(他の意味もあるが、ここでは分析のために省略している。)一般的に、「出頭すべ し」と「裁判所」に言われたら、おそらく、「自分が何らかの罪によって呼び出された」と連想するであろう。それは山猫が一郎に断られた原因かもしれない。 だが、前にも述べた通りに、山ねこワールドへ行くには、信じる心、山猫への信頼が必要である。山猫は「出頭すべし」と言おうとした時に、「まだなにか言ひ たさうに、しばらくひげをひねつて、眼をぱちぱちさせてゐましたが、たうとう決心したらしく言ひ出しました」。この山猫の躊躇いから山猫が「出頭すべし」 にしたいのは何かの思惑があってのことに気づくであろう。だが、自分が裁判される危機を避けるべく山猫の願いを断った「今の」一郎は、山猫を信じていると は言いがたい。この信から不信への変化は何も突然に起こったことではない。恩田逸夫氏は一郎と馬車別当との会話について、「あまり気持ちよくは感じられな い」、「相手の無知につけ入って、愚弄しているようにも受け取れる」と述べていた[7]。もしかすると、馬車別当にだけではなく、山猫が「面倒」と思った裁判を一分半でかたづけたことにも慢心を持ちようになったかもしれない。

以上の経緯で、「今の一郎」にとって山猫ワールドはもうそんなに美しい世界ではなくなった。故に彼は「金色のどんぐり」を土産に選んだ。このシーンについて、吉田氏は「読みによって残酷な場面」としていた[8]。 私も氏の意見に同感せずにはいられないでいる。つい先までワアワアと騒いだどんぐり達は、一郎が道を尋ねた栗の木、笛ふきの滝、きのこ、栗鼠たちとは同質 な命を持ち、森の精霊達である。それをもののように一升を計り(計るのは山猫や馬車別当だが)、持ち帰るのは、一郎にとってどんぐり達はもう森の精霊では なく、命を持てないただのどんぐりである。帰り道にどんぐりは「だんだん光がうすくなつて」、「あたりまへの茶いろのどんぐりに変わ」ったのは、この故で あろう。黄金のどんぐりが茶色になるのは、そのまま一郎の心の現われともいえよう。

 

五、終わりに:

 

 村瀬学氏は、「どんぐりと山猫」から、「仏典や仏の教義を解説、説教する者たちへの鋭い風刺をやってのけている」のを感じた[9]。 『注文の多い料理店』の自家宣伝文句の中に、「この本は正しいものの種子を有し、その美しい発芽を待つものである。しかし決して既成の疲れた宗教や、道徳 の残滓を色あせた仮面によって純真な真意の所有者たちに欺き与えんとするものではない」と書いてある。「お説教で聞いた」一郎の発言が、永遠的に、ユート ピア的な山ねこワールドを破綻させたのは、仏経の「聖語」を乱用するものへの風刺であり、純朴な心がこのような言葉に影響されたことへの嘆きでもある。

  宮沢賢治の作品はよく愚鈍なまでに純朴な性格を尊いものとしていた。すこし行き過ぎた論かも知れないが、私には、『どんぐりと山猫』の中から、宮沢賢治が 如何に純朴的な子供心、何事も信じられる心を大事にしたかのを感じ取った。一郎は最後に「やつぱり、出頭すべしと書いてもいいと言へばよかつた」と悔恨す るのは、賢治の代わりに、自分が無くした純朴な心を惜しんでいるではないかと、私は思わずにはいられない。

 

六、参考文献:

 

吉田文憲、「「どんぐりと山猫」について」、『宮澤賢治 妖しい文学の物語』、思潮社・2005

James Matthew Barrie作、李淑珺訳、『彼得潘』、謬思出版2006

安藤恭子、『どんぐりと山猫論』―支配される構造―、『国文学解釈と鑑賞』58(9)、至文堂・1993

『広辞苑』、岩波書店・2006

恩田逸夫、「どんぐりと山猫」試論、『宮沢賢治論』第三巻、東京書籍・1981

佐藤通雅、「どんぐりと山猫」、『国文学教材と研究』34(14)、学灯社・1989

村瀬学、『どんぐりと山猫』について、『『銀河鉄道の夜』とは何か』、大和書房・1989



[1]吉田文憲、「「どんぐりと山猫」について」、『宮澤賢治 妖しい文学の物語』、思潮社・2005

[2] James Matthew Barrie作、李淑珺訳、『彼得潘』、謬思出版・2006

[3] ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89。)

[4] 安藤恭子、『どんぐりと山猫論』―支配される構造―、『国文学解釈と鑑賞』58(9)、至文堂・1993

[5] 同1

[6] 『広辞苑』、岩波書店・2006

[7] 恩田逸夫、「どんぐりと山猫」試論、『宮沢賢治論』第三巻、東京書籍・1981

[8] 同1

[9] 村瀬学、『どんぐりと山猫』について、『『銀河鉄道の夜』とは何か』、大和書房・1989


2 comments:

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    這表示你十分強大

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    沒,我是弱小的廢物QQ

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