Monday, May 3, 2010

憂-YOU


 何かを書くのはいつものことながら本当に久しぶりで、というか今は暇つぶしに書こうと思っている。
 話したいものはなんだろうね。探し物は何ですか~とメロディが耳元に響いてくるんだが、もうそんなセンチメンタルな歳もないしな。取り敢えず最近憂鬱になってることだけは深刻だった。原因はこれもやはりいつものことながら彼女が原因である。別に彼女に見られたくないから日本語で書いたわけではない。そもそも彼女もしかして日本語が読めるかもしれないし、私にとって他人の日本語レベルをはかるのは至極難しい作業である。(いつの間に”である”調になっているな...)強いて言えば最近日本語あまり使わないから、ちょっと心配になってる。これ以上ボロくなればもうこれでメシ食っていけない危惧は、私にはある。閑話休題、そろそろ本題に入る。

 今の私は、憂鬱である。恋煩いと言えば分かりやすいかも知れないが、ちょっと違うような気もする。それは、愛や思念云々よりも、彼女という人、彼女という存在、また自分の行為が分からないからである。電話が繋がらないのは鬱陶しい。彼女は誰とも話したくないから電話に出ないという意思表明をした。それならまだいい。誰にも機嫌が悪いなる時がある。分からないのは、彼女がネットで”別に機嫌が悪くなった訳ではないよ。元気です。ただ何かを話す気分ではないの”と言った。これは参った。ショックだ。やられた。別にてめぇそんで俺の電話にでねぇとはどういう了見だこらぁなんざ叫ばないが(叫びたい気はないもないが)、色々と考えさせる処のある台詞だ。電話がこうまでも繋がらないと私が心配になり、憂鬱にもなる。それは彼女に限らずみんな知っていることだ。また、長電話をする習慣なんて私たちの間にはない。だとしたら、二三分付き合ってくれてもそんなに難しいことではない...と思ったのは虫が良すぎたか。”私のために”ちょっと犠牲してもいいではないかと思ったのはナルシズム的な考えだろうか。ネットで別人とチャットが出来て、電話で私とすこしだけでも話したくないのは何でだろう。こんな疑問が浮かぶのは私の問題か。それとも彼女の問題か。答えのない問題を自問すればするほど憂鬱になる。だがこんなことは彼女とは関係なく、私自身の問題になる。私が相手を信じてあげられないからこうなったではとずっと思ってた。結論的に言えば、私が恋するのに適さない...ことになる。これもまた飛躍的なんだろうか。人生は、やはりなかなか上手くいかないもんだなと思う今日今頃である

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